2021年6月発行

シナーラ

小学生の時の夢は、「いつかは世界の海へ」。
その想いは大人になっても変わらずシーマンに、そしていま「シナーラ」の甲板長に。
シナーラのレストアが完遂して完成ではなく、
そこに乗る磨き上げられたクルーを目指して、人としての成長を実感する日々。

“クレイジーは最高の褒め言葉”
海を愛する“シーマン”が描いた夢とは

リビエラリゾートに籍を置く齋藤の下の名は「広ひろみ海」。この世に生を受けた時から、海と生きることが決まっていたのかもしれません。高さ30mにおよぶ「シナーラ」のマストに登り、磨き上げ作業をする齋藤の姿は、まさにシーマン。クルーの中でもひときわ黒く日焼けした肌が印象的な「シナーラ」の甲板長です。
護衛艦に乗りたいと海上自衛隊の職に就いたものの、航空管制という陸上での勤務を担うことになった齋藤は、海への想いを捨てられずリビエラへ。
「海が大好きという根っこは子どもの頃から変わらない。自然はいつも違う表情を見せるので、毎日が発見で、勉強です。海バカともクレイジーとも言われますが、僕にとっては最高の誉め言葉です。」と、齋藤は満面の笑みで語ります。
「シナーラに携わる前までは海洋普及に従事し、『リビエラ未来創りプロジェクト』の一環として運営する『日本海洋アカデミー』では、子どもたちに海の楽しさや厳しさ、環境の大切さを伝えたり、ヨット操縦を教えていました。シナーラのレストアは、同じリビエラシーボニアマリーナ内で作業が進められていたので近くで見ることはありましたが、まさか自分がそのクルーの一員に抜擢されるとは思ってもみませんでした。シナーラのクルーにならないかという打診をいただいた当初は、正直悩みました。こんなに大きな船に携わったことがなく、ましてやクラシックヨットということで不安でしたが、ヨットで世界を旅したいという子どもの頃の夢を思うと、気持ちを抑えることができずに“ぜひやらせてください”と返事していました。」

白石康次郎氏の講演がきっかけで
ヨットマンとしての青春時代を過ごす

齋藤がヨットにのめり込んだのは10歳のとき。
「僕が通う小学校で、当時26歳という若さで単独無寄港の世界一周を果たしたばかりの白石康次郎さんの講演を聴き、胸がわくわくしたのを今でも覚えています。白石さんの講演は、僕の人生を揺り動かすくらいエキサイティングでした。幼少期から両親と小型ヨットに乗ることはありましたが、自分でヨットを操船したいと意識したのはこの講演がきっかけでした。」
相模湾でヨットを駆る青春時代を送り、高校、大学時代は世界クラスのレースにも数々挑み、輝かしい成績を収めてきました。

「シナーラ」は夢であり、ロマン。

レストアを終えた「シナーラ」は、相模湾でセーリングを続けています。毎週のトレーニングやミーティングに加え、日々のオンラインでのやりとりを通じて会長の渡邊から学び、「人は変われるんだ」と実感していると言います。
「リビエラではロマンが語られます。僕にとっても、シナーラはロマンです。世界を船で駆けたいという夢に手が届きそうなところにあります。成長を重ね、最高のシナーラとともに、クルーとして大海原を旅できたらいいなと思っています。」

Presenter

齋藤 広海

リビエラリゾート
シナーラクルー
甲板長

齋藤 広海


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