2021年6月発行

白石康次郎

2021年2月11日、日本の―いや、アジアのヨット界はこの朗報に沸き立ちました。世界一周を4度も成し遂げた、日本が生んだ世界の海洋冒険家・白石康次郎さん。“最も過酷”な単独無寄港無補給の世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローブ 2020-2021」で、アジア勢として初の完走(33艇中16位)を達成。少年の日から不変の夢を追い続け、会うたびに笑顔と元気・挑戦への勇気をくれる冒険家が、また1つ念願を果たしました!

インタビュー:渡邊華子

海洋冒険家

白石康次郎

Shiraishi Kojiro

1967年、東京生まれ、鎌倉育ち。横浜国立大学教育学部附属鎌倉小・中学校卒業。神奈川県立三崎水産高等学校(現:神奈川県立海洋科学高等学校)卒業。高校在学中から、史上初の世界一周単独ヨットレース優勝者・多田雄幸氏に師事。師の没後、船を受け継ぎ、26歳の時、最年少(当時)で単独無寄港世界一周航海を達成。以後、今日までヨットによる単独世界一周を4度達成。「リビエラ海洋塾」塾長。

子どものころから
変わっていない

― この度はヴァンデ・グローブ完走、おめでとうございます! 私たちリビエラは、レースの間、ずっと白石さんの航跡を追っていました。嵐でメインセールを破損された際には、前回マスト倒壊でリタイヤしたのと場所も近かったので、私たちも固唾を呑んだものでしたが、1週間後に再び快走を始めたのを見て大興奮しました。

白石: いつも温かく応援してくださりありがとうございます。真っ二つに裂けたセールを何とか修復できたとき、僕も「ひょっとしたら今回は奇跡が起こるかも」とは思いましたが、完走できる見込みが立ったのは、フィニッシュの10分前です。

― 港に入る10分前!?

白石: 何が起こるか最後までわかりません。夜の大洋でクジラに体当たりされたら一巻の終わり。姿が見えるわけではないので、避けようがない。岸まで来れば漁船などで混み合っているから、ゴール寸前で衝突沈船もあり得る。ヴァンデ・グローブとは、そういうものです。

― わずか10分先の見通しが立たないから〝冒険〟なんですね。 そんなシビアな冒険を30年以上続けてこられた白石さんの少年時代を教えてください。

白石: ごく普通の子どもだったと思います。生まれは東京ですが、幼稚園のころに鎌倉に転居して、鎌倉の海と山を満喫して育ちました。通った長谷幼稚園では園児に地引網をさせたりするんです。
小中学校は、鶴岡八幡宮の隣にある横浜国立大学の附属校。クラスメートはたいてい、電車やバスを乗り継いで遠くから通っています。帰宅後待ち合わせて遊べない分、下校しながら遊ぶわけですが、たとえば鬼ごっこでも、江の島あたりまで逃げていく子もいるんです。鶴岡八幡宮から江の島までは、ざっと10キロくらい。

― そのスケールの大きさは今に通じるものがありますね!

白石: 鎌倉じゅうが遊び場でしたね。で、暗くなって家に帰るとプラモデルです。軍艦のプラモばっかり作ってました。今はヨット建造をしてますが、これは本当に乗れるフルスケールのプラモ作りみたいなもの。

― それが世界の海洋冒険家の原体験ですか?

白石: そうそう。僕の人生はとてもシンプル。子どものころから変わってないんです。みんな集まれと声をかけて、大好きな船を造って、遠くまで行って、遊びを追求……。年齢とともに距離は伸びていって、ついには世界一周にまでなっちゃいましたけど。
僕が船を始めたのは、海外への憧れからでした。テレビで『兼高かおる世界の旅』(1960〜1990年、TBSにて主に日曜放映)を毎週見ていて、僕も世界を巡ってみたいと思った。でも、ゆとりのある家庭ではなかったから、世界一周の夢を叶えるには、船乗りになるしかない。そう思い、水産高校に進むことを決めました。

― 国大附属中から水産高校への進学は異例なこと。ご家族は反対されなかったのですか?

白石: 僕は小学1年生で母と死に別れて、父と祖母に育てられたんですが、「自分のことは自分で決めなさい」とふたりとも僕がすることをいつも認めてくれた。 入学した県立三崎水産高校(現・海洋科学高校)では機関科に進みました。ここで船舶全般を基礎から学び、海の厳しさとメカニック技術を叩き込まれた。水産高校での学びは、後年、役に立ったことばかりです。

白石康次郎

恩師との出会い
駅の電話帳で調べて

― 水産高校ではエンジンとスクリューで動く船を学ばれたのですね。では、ヨットとの出会いは?

白石: 高校に入ってすぐ、史上初の世界一周単独ヨットレース「BOCチャレンジ」で日本人が優勝した、というビッグニュースが飛び込んできたんです。矢も盾もたまらなくなって、弟子入りを志願しました。 あのころは今と違って電話帳を見れば住所が載ってたから、東京駅で電話帳を調べました。

― それが伝説的なヨットマン、多田雄幸さん。

白石: 多田師匠は文字通りの天才。なにしろ船造りの発想がユニーク、というか自由奔放で。ゴミ置き場から拾ってきた桐タンスが艇内に埋まっていたりして。

―廃材から船を造るなんて、今の時代のエコロジーを先取りしていますね。

白石 いやいや、今のレース艇では考えられません。当時だって多田雄幸だからできたこと。

多田さんは世界屈指のヨットレーサーでしたが、生業は個人タクシーのドライバー。自由が利くという理由でそういう仕事に就いていたわけですが、もともとは旧制長岡中学から予科練に進んだ軍国時代のエリート。先輩には山本五十六がいて、同級生には〝歴史探偵〟で名高い作家の半藤一利さんがいたりする。芸術家気質で絵画の二科展にも入選しています。
思いも寄らない発想で、ゼロから船を手造りした多田さんは、まさにアーティストでした。

理詰めの技術と
師匠譲りの応用力

白石: 柔軟すぎるほどの発想力という点では、僕は師匠にとても及びません。機械好きで学校でも機関を学んだ僕は、エンジニアタイプ。この点は僕のヨット乗りとしての持ち味だと思っています。 実のところ、僕はヨットの操船は決して得意ではないんです。僕より上手な人はいくらでもいる。でも、船に何かあった場合の対応力には自信があります。
今回のヴァンデ・グローブでも、北大西洋のど真ん中でメインセールが真っ二つに裂けてしまうトラブルに見舞われましたが、手持ちの資材で補修して完走することができた。世界トップクラスのヨット乗りでも、これができる人は、まずいないんじゃないかな?
学校で教わった理詰めの技術と、師匠が間近で惜しみなく見せてくれた奔放な応用力が、僕の両輪。今回の完走も、この両輪の賜物です。

― 学校での勉強も大事。柔軟な思考で人から学び、その時その場に対応できることも大事。基礎力と応用力を身につけること。子どもたちに伝えたい真理ですね。

白石康次郎

プラモデル作りに熱中した幼少期

師匠の多田雄幸さんと

三崎水産高校時代。師匠の多田雄幸さんと。

悲劇を乗り越えて
最年少記録達成

― 白石さんの名を一躍世界に知らしめたのは、1994年3月に打ち樹てた単独無寄港世界一周航海の「史上最年少記録」(当時)です。あの航海は〝最年少〟を狙ったチャレンジだったのですか?

白石: あのときは世界一周レースに出るのが目的で、記録は結果的についてきたまでのこと。
82年の第1回BOCの後、僕を弟子にしてくれた多田さんは、還暦を迎えた90年の第3回BOCで世界一周に再挑戦しました。「俺はこれで引退する。船も譲るし、サポートもするから、94年のBOCは康ちゃんが行け」と言ってくれていたんです。そうして臨んだレースで、多田さんは南氷洋で転覆して船を破損。シドニーに入港した時点でリタイヤしました。 師匠が遺した船をシドニーで何とか直して、ホームポートの伊豆松崎に回航しました。松崎で徹底改修を施し、艇名を「スピリットオブユーコー」と改めて、世界一周をめざしました。

― 念願の単独無寄港世界一周を果たされたのは、恩師の死から丸3年後。満26歳の壮挙でした。

白石: 当時の最年少記録が27歳だったことは雑誌で読んで知っていましたが、特に意識していたわけではありません。「今、成功したら記録更新だなあ」とは思いましたけど。

その後、2002年に「アラウンド・アローン」と名称が改まったBOCに参戦しクラスⅡ(40ft)4位入賞。これも〝世界一周〟のレースなのですが、お金がなかったので日本から発地までの回航も自分一人で行いました。だから、僕だけ実際は〝単独世界1・5周〟だったんです。

― それは〝記録に残らない大記録〟!

好きなことをやれば
人生はいつも夏休み

― 2007年には再度名称が改まった「ファイブ・オーシャンズ」クラスⅠ(60ft)に、日本人として初参戦して堂々2位完走。
この他、巨大双胴船のクルーとして太平洋横断世界記録更新に貢献したり、トレッキングやカヌー、ロッククライミングといった各種の過酷なタスクを包括するアドベンチャーレース「エコ・チャレンジ」に出場したり……と、冒険家としての名声を揺るぎないものに。 その一方で、子どもたちの育成指導も熱心に取り組んでおられます。リビエラのSDGs「リビエラ未来創りプロジェクト」に協力くださり「リビエラ海洋塾 塾長」にも就いていただいています。

白石: 初めて「リビエラ海洋塾」のお話をいただいたのは、東日本大震災の影響で海外での大きなレースに出られなくなっていたころ。天が与えた〝待機時間〟と捉えて、当時幼稚園生だった娘の送り迎えをしたり、ゴルフに打ち込んでみたりと、それまでやってこなかったことに取り組んでいた矢先でした。 そんな悶々としていた時に、リビエラから機会をいただいて、子どもたちに教える醍醐味を味わい、そして子どもたちから元気と勇気をもらいました。

― あのとき“塾生”だった小学生たちも今は成人。「続けることが大事だったんだ。好きなことじゃないと続けられないから」と白石さんの教えに気づいています。

白石: 「今から人生遊んで暮らせる方法を教えてやる!」と本気で言ってましたからね。今回のヴァンデ・グローブも、その模範演技みたいなものです。「大好きなことを思いっきりやり続ければ、人生はいつだって〝夏休み〟なんだ!」と思ってもらえたら嬉しいです。―海洋塾では、付き添いの保護者も刺激を受けたようです。「大人の海洋塾」も人気でした。白石 大人には、カッターボートを体験してもらいました。体力的にはキツかったはずだけど、皆さん一心不乱にオールを漕いで、最後は大はしゃぎ。大人が楽しむ姿を見せるのが、子どもには一番です。 大人にも、こういうことって、やっぱり大切なんだと痛感しました。〝塾〟なんですけど、心身を鍛えるとか海洋技術を磨くとかではなく、単純にストレス解消でもいいじゃありませんか。 それには海がいちばん!

リビエラ海洋塾

「リビエラ海洋塾」塾長を務める

リビエラ海洋塾

水質向上した
海水に潜む強敵

― 今回のヴァンデ・グローブでは、海洋研究開発機構(JAMSTEC)に協力して、レース中の海域で海水サンプルを採取してこられたとか。

白石: 海洋プラスチックによる汚染状況の実地調査です。他には赤道の近くで気象ブイを落としてきた選手もいます。 厳しい南氷洋回りで〝世界一過酷なヨットレース〟といわれるヴァンデ・グローブですが、必ずしも勝負至上主義ではない点がいいところ。出場する選手たちは、それぞれが個人的なテーマを持ってレースに臨みます。その辺りは、ワークスチームが最先端技術と大資本を投じてシビアに覇を競うアメリカズカップなどとの大きな違いです。ヴァンデ・グローブは、個人主義が徹底しているフランス流なんです。
もちろん優勝をテーマとする選手もいますが、今回の僕は「前回果たせなかった完走」がテーマ。タイムロスを気にする必要がないので、JAMSTECのリクエストは大歓迎でした。調査観測には多くの選手が協力しました。

― 実際にご覧になった世界の海の水質はどうだったのですか?

白石: 全世界的な環境意識の高まりもあって、最近の海洋水は澄んでいるといわれています。 今回の航海で、僕も水質そのものの向上は実感しました。でも、澄んだ水の中に、細かくなったプラスチック片が混じっています。まったく臭わないし、パッと見では見えにくい。それだけに厄介。油などよりはるかに強敵です。

― 本当ですね。大きなゴミは少なくなってきたので、今はマイクロプラスチックに着目し、私たちはトングではなくザルを持って地道なビーチクリーンをしています。 海洋プラスチックの原因は、よく話題にされるペットボトルやレジ袋以外にも様々な海洋浮遊物があるといわれていますよね。

白石: 僕は科学者ではないので解決方法を示すことはできません。僕にできることは、海の真ん中で見た事実をそのまま伝えることだけ。 でも、それが大好きな海を、後の世代に残すことに繋がるはず。誰だって、海は美しいほうが良いわけだから。そう思っています。

日本のヨットが花開く
大冒険は未来に続く

― 欧米の識者から「日本は海に囲まれているのにヨット後進国で、海での文化が未成熟なのが不思議」といわれることもあります。

白石: 日本ではヨットといえば“お金持ちのレジャー”との偏見がありますが、大航海時代に船で世界を制したヨーロッパ人にとっては、親から子へ受け継ぐスポーツであり、いわば国技。僕らにとっての相撲や柔剣道なのでしょう。 その点については、僕はこういう説明をしています。日本は台風の通り道だから、港は造りづらいという事情が根底にあります。そして日本は鎖国をしていましたよね。欧米的な帆船文化より先に、漁場と魚貝を食す豊かな食文化が花開いた。近海に良い漁場がありますし。文化の成り立ちが、ヨーロッパと日本では違うのです。そのことを欧米人たちは知りません。 鎖国を解いて150年。マリンスポーツが普及し始めたのは戦後。日本のヨットはこれからですよ。 その意味で、英国の伝統文化の精髄ともいえる「シナーラ」を遠く離れた日本で完全レストアしたことは、歴史的にも偉業です。万難を排して「やる」と決めた勇気と、この快挙を成し遂げた渡邊会長のロマンを、ヨーロッパ人たちは良く知っていて称賛していますよ。
シナーラは、本当に美しく蘇りました。レストアは日本では馴染みがないけど、伊勢神宮でいう式年遷宮ですね。

― 式年遷宮との対称は、渡邊もよく語っています。シナーラはSDGsそのもので、まさしくリビエラのフラッグシップです。環境、教育、健康・医療の3つの軸で取り組んでいるリビエラのSDGs「リビエラ未来創りプロジェクト」を各事業と連動しさらに強化していくのは、今の私たちの大切なミッションです。

白石: 6月にオンラインで収録した「第2回リビエラSDGsフェス」に参加して、私もトークセッションしました。自分たちのこと、地球のこと、未来のことを、それぞれの視点で語り合うことは大事で、有意義な時間でした。他の登壇者とも様々なお話しができたことは、SDGsの連鎖を起こしたいというフェスの趣旨にあっていましたね。ぜひ視聴してほしいです。
僕も50代半ばになって、ヴァンデ・グローブの直前には思わぬ大病をしたりもしましたが、まだまだやりたいことだらけ。
リビエラの挑戦はこれからも続くのですね。僕も負けません。大好きな冒険の旅に挑み続けていきましょう!

ヴァンデ・グローブ

「ヴァンデ・グローブ 2020-2021」でアジア人初の完走
photo by Yoichi Yabe


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