2025年 1月 発行

「Mr.ワタナベ、最も大切なのはコミュニケーションだよ」
その夜、尊敬する友人の言葉の真意が、私はわかったような気がしました。そして、はるばる飛行機を乗り継ぎ、イタリアのサルディニア島までやってきた意味を噛みしめました。
世界のセーラーが憧れるコスタ・ズメラルダの「マリーナ・ディ・ポルト・チェルボ」で開催された「Rolex Swan Cup」。この歴史あるレガッタの参加資格は、SWANを所有するエクスクルーシブなメンバーです。普段、ヨーロッパを中心に世界各地に散らばっている彼らは、2年に一度開催されるこの特別なイベントのために休暇を取り、プライベートジェットに乗って、この地中海の小島にやってくるのです。
「ヨットクラブ・コスタ・ズメラルダ」のクラブハウスで、特別なパーティーレジェンドに捧げる夜が始まりました。大会4日目の夜に行われた「オーナーズパーティー」は、招待されたSWANオーナーとそのファミリーおよそ500人が一堂に会する特別な時間です。中にはセーリング界で偉大な功績を残す英雄ポール・ケイヤード氏の姿もありました。驚くのは世界中のメディアも招待されていて、私も英国の国営放送「BBC WORLD」にアジア代表として密着取材を受けました。私は初めての参加でしたが、ヨットと海をこよなく愛する者たちの夜の集いは、どこまでも華やかで情熱的、そして厳かでした。
そのパーティーの壇上、集まった人々の視線を一身に集めていたのが、私をこの旅に誘ってくれた友人でナウター・スワン社の会長レオナルド・フェラガモ氏でした。この日の夜は、フェラガモ氏のひとり舞台と言っても過言ではありませんでした。
というのも、今回は「Rolex SwanCup」40周年。その節目の大会を前に彼は、自らが20年をかけて創り上げたブランドを売却し、新しいオーナーに譲渡するという決断を発表したのです。そして、この夜、売却相手である新オーナーが紹介されることになっていました。
オーナーとしての最後のスピーチは圧巻でした。私の知る彼は、人懐っこい少年のようで、屈託のない笑みを浮かべながら話します。しかし、この夜は、真剣そのものでした。彼はSWANを育て上げてきた歳月を愛おしむかのように、静かに語り始めました。ビジネス以前にひとりのセーラーとして、いかに自分がSWANを愛しているのか。そして、それを手放すことが、どれほど苦渋の決断だったのかを、時折ユーモアも交えながら、イタリア訛りの英語でとうとうと語るのです。
私はそのスピーチを聴きながら、彼と出会った頃のことを思い出していました。私とフェラガモ氏との付き合いは2015年に遡ります。その後70歳でヨットにのめり込んでいく私にとっても、SWANは当時から憧れでした。SWANで初めて購入した「SWAN54」。その舵を握って海に出た時から、その卓越した乗り心地と機能美の虜になってしまいました。
そして私は、ある決断をします。オーナーであるフェラガモ氏に連絡を取り、日本における販売代理店になりたいと伝えたのです。幸運にも彼はアジア圏で代理店を探していて、快く私の申し出を受けてくれました。お互いの素性を理解していく過程で、彼も私と同じくファミリーで複数の事業を展開する経営者であると知り、意気投合。以来、年に数回、お互いイタリアと日本を行き来しながら、家族ぐるみのお付き合いがはじまりました。彼は私よりも8歳年下ですが、久しぶりに会うとビジネス、ヨット、家族、人生について、いつも時間を忘れて語り合います。
そんな彼が、私にこう言ったことがありました。
「SWANが最も大切にしているのは、コミュニケーションです」
何となくニュアンスは理解できるのですが、釈然としないので、私はこう尋ねました。
「あなたがいうコミュニケーションとは何ですか?」
すると彼は、私をとある場所に誘うのです。それがサルディニアでした。彼はいつもそうなのですが、私が何か質問をすると、自分の考えを雄弁に語るのではなく、ただ私を自分のホームに誘うのです。
過去にも同じようなことがありました。来日中の彼との食事の席で、ファミリーでビジネスを成功させる秘訣に話がおよぶと、「私が暮らしているイタリア・フィレンツェにファミリーを連れてお越しください。来たら分かりますよ」と言うのです。
その後、私は家内や娘たち、孫たちを連れて、彼の暮らす街を何度となく訪ねています。フェラガモ家といえば「靴」が有名ですが、実際にはヨットやホテルなど数多くの事業を展開するコンツェルンを築いていて、彼はまさにイタリア映画を地で行く「ゴッドファーザー」でした。
極めてイタリア的だなと思ったのは、その考え方です。彼はファミリーで事業をやっていれば、必ずビジネスを支える希有な人材が出てくる。その「芽」を大切にすれば、必ずファミリーは活性化するというのです。彼はファミリーの絆を本当に大切にしていました。
実際にフィレンツェまで足を運び、フェラガモ氏のビジネススタイルや普段着の生活を垣間見たからこそ、その言葉の意味を深く理解することができました。
そんな彼が今度はサルディニアに来ないかと言うのです。それは同時に「Rolex Swan Cup」への招待でもありました。しかし、年齢のことだけを考えてもそう簡単に返事はできません。毎週SWANで相模湾にセーリングに出ているとはいっても、世界最高峰のレースに出場するためには、クルーを育てる時間も必要です。
当初、その誘いを一度は断念しました。すると、すぐに彼からメールが届きました。そこには、
「もし渡邊さんのご家族やクルーである社員の方が参加できるのであれば、それは間違いなく大きな意味を持つことになるでしょう」と書かれていて、最後にこう締めくくられていました。
This event is in fact such a pinnacle in the life of the Swan world and it would be so important to share it with those people who love our Company and represent it in different part of the world.(和訳:このイベントは、SWANワールドのハイライト。SWANを愛する世界中のオーナーらが、一堂に会してその価値を分かち合うことができればと思います。)
私は「よし、行くぞ」と覚悟を決めました。それが大会のおよそ1年半前。そこからこの大会に出場するための様々な準備を経て、私はサルディニアにやってきたのです。オーナーズパーティーの夜、私たちが案内されたテーブルは、地中海を臨む素晴らしい席でした。そこからフェラガモ氏の渾身のスピーチを眺めていたのですが、彼が私に見せたかったのはこれだなとすぐに理解しました。
SWANを愛する者にとって彼はレジェンドです。その意味は、彼が20年という時間をかけて、SWANを世界最高峰のブランドにしたからだけではありません。彼自身が心から海を愛し、ヨットを愛する一人の真正なセーラーであることを誰もが知っていて、その謙虚な姿勢と優しい眼差しを敬愛しているからです。
スピーチの中で、フェラガモ氏はなぜSWANを手放すのか。その理由を語りました。それは何もお金、ビジネスの都合ではありませんでした。実は新たなオーナーは、メガヨット、スーパーヨットと呼ばれる最新鋭のヨットの製造、販売も手がける会社のCEOでした。その最先端のエンジニアリングをSWANに注入しようというのです。無論、ナウター・スワン社も世界の一握りの富裕層を相手にする高級ブランドであることは間違いないのですが、その未来を考えた時、メガヨットという新たな市場を有する会社に譲ることが何よりの選択だと考えたのでしょう。
15分にも及ぶ感謝のスピーチの後、正式に新オーナーに抜擢されたサンロレンツォ社のCEOマッシモ・ペロッティ氏が紹介されました。彼は、オーナーを退く決断をしたフェラガモ氏の功績と勇気を称え、そのスピーチに呼応するように、「自分もSWANを愛している」「このまま経営責任者として残って欲しい」とフェラガモ氏に訴えました。
彼はその提案を受け入れ、壇上で新旧のオーナーが熱い抱擁を交わしたのです。その映画のようなワンシーンは、ビジネスを超えた深い友情を彷彿とさせる崇高な場面でした。そして、SWANの新しい船出を祝福して万雷の拍手が起こり、いつまでも続いたのでした。
ホテルに戻った私は、火照った身体を休めようとシャンパンを片手にバルコニーに出ました。見上げる空には満月が輝いていました。私は改めて尊敬する友人の選択と勇気に想いを馳せました。そして、この一夜を通じて彼のいう「コミュニケーション」の何たるかを悟ったのです。それは、SWANを愛するセーラーやクルー、そしてこの大会を40年支えているマリーナやヨットクラブ、スポンサー、関係者らが、一体となって作り上げてゆく過程の重要性でした。この大会を継続することは、想像を絶する強靱な意志が必要です。また、誰かが一人で旗を振ったから成立するものではありません。本当にSWANを愛していなければ、あの夜の厳粛な空気は醸成できないのです。
そもそも、船の大小に関わらず、世界中から500人のオーナーが集まる機会はありません。文化も考え方も違う彼らがSWANの価値観の基に一堂に会し、ひとつのファミリーにも似た絆を実感する。これこそ、フェラガモ氏がいう、コミュニケーションの神髄でしょう。
私も、あの夜に立ち会わなければ理解できなかったと思います。
いずれにしても、このサルディニアでの5日間は夢のような時間でした。私もレースに参加したのですが、人生で最高のパッションと海へのロマンを味わうことができました。地中海の空は抜けるように青く、眩しく、太陽の日射しには夏の名残を感じました。実際には借りたヨットがエンジントラブルに見舞われるなど、アウェーの地ならではの洗礼をいくつも受けることになるのですが、それも含めて私にとっては人生の最終章を語るに相応しい大冒険でした。大会期間中、SWAN 68をお借りしたオーナー船長のファビオさんに心から感謝しています。これまでの人生では味わうことができなかった別次元の夢のような時間に身を委ね、没頭し、かけがえのない糧を得ることができました。
そして、次の目標を確認することができました。2025年11月、リビエラ逗子マリーナを舞台に「Riviera Swan Asia Regatta」を開催することが決定したのです。
これは、フェラガモ氏やCEOジョバンニ・ポマティ氏、CCOバリー・アシュモア氏、国際レース責任者フェデリコ・ミケッティ氏に私から提案したのですが、彼らはアジア開催を大歓迎。総力をあげてバックアップすると約束してくれました。改めてお互いの信頼関係が深まり、その海を越えた絆がより強固になっていくことを確認できた瞬間でした。
雄大な富士の山を背景に何艇ものSWANが相模湾を走る日を夢見て。今年も私の挑戦は続きます。

渡邊 曻
リビエラグループ
代表取締役会長