2024年 9月 発行

渡邊 曻

風をつかむということ

海況が変わらなければ、帰りは向かい風になるだろう―。
この日、「リビエラ逗子マリーナ」から出港したスワン58「クオリア・リビエラ」は快調でした。真冬の乾いた追い風を帆に受けて、海面を滑るように進みました。このスワンヨットは、イタリアを代表するラグジュアリーブランド「フェラガモ」の現会長で、スワン社オーナーでもあるヨットマンのレオナルド・フェラガモ氏の勧めで購入したものです。
私がセーリングを始めたのは70歳の時。今も月に数回は、社員から選抜したクルーのトレーニングと人づくりを兼ねて、彼らと相模湾に出ます。この日は冬型の気圧配置で、天気は下り坂。富士山も雨雲にすっぽりと隠れてしまいました。
クローズホールドを帆走してタックした時、予想は的中しました。逗子湾から吹く強風のブローをつかんだ途端、大きくヒールし始めたため、舵を取られまいと踏ん張りました。しかし、あれだけの強風の中でも、さすがスワンは安定感のある帆走でした。
間が悪いことに雨は雪混じりの霙みぞれに変わり、ダウンジャケットを着込んでいるとはいえ、体の芯まで冷える寒さでした。このタイミングで舵をクルーに預け、船室に避難すればよかったのですが、その日はどうしてもこの風と向き合ってみたくなり、しばらくの間、大自然との格闘が始まりました。マリーナに戻る頃には全身がずぶ濡れ。手と足の指先の感覚がなくなり、下船後、不覚にも風邪をひき、2日間寝込んでしまいました。でも、今思い出しても最高にエキサイティングな時間でした。
私は、若い頃から「風を掴みにゆく」性分があります。瞬間的に「これだ」と思ったものを、何となく掴んでみたくなるのです。裏を返せば「痛い目を見る」リスクもあるのですが、その失敗もまた成長の糧としてきました。
世間では「成功から学ぶ」とも言われますが、私は全く逆です。成功から学んだことは一つもありません。右も左も分からない不動産の世界に飛び込んだとき、何度も痛い目に遭遇しました。しかし、その度に学びを得て再起し、国内だけでなく世界でもビジネスをさせてもらえるようになりました。
「騙されたとしても、絶対に人を騙さない」それが私の信条です。そうして本音で人と向き合っているうちに、私を騙す人はいなくなりました。その時々で、どんな風を掴むかは「運」次第ですが、今の私があるのは人の良縁に恵まれたおかげと心から感謝しています。
組織を率いるリーダーは、本当に危険な時にはストップをかける決断力を求められます。そのためにも、その時々の状況を読み、成功と失敗の「際」を見極める力が必要です。もちろん、晴れた穏やかな日に海に出れば済む話なのですが、人生は必ずしも「安心・安全」だから面白いとは限りません。この日のセーリングは自分の現状を把握する上で貴重な経験となりました。
近々、私はクルーを連れて、イタリア・サルディニア島で開催されるヨットの世界大会「ロレックス・スワンカップ」に参加したいと思っています。夢はいつになっても尽きることはありません。
それにしても、あの日は忘れられない一日になりました。後日、教えを請うている書家の永守蒼穹氏に勧められて、筆にたっぷりと墨をつけ、一気呵成に「風」と書きました。2024年1月5日。あの日のセーリングを思いながら、エイヤッと筆をとったものです。師からは「荒々しく躍動的な文字ですね」と褒めていただきました。今、生まれ故郷の河口湖の別邸に飾ってあります。自ら掴み取った「風」には格別の感慨があるものです。

リビエラグループ 代表取締役会長

渡邊 曻

  • 一時的に吹く強い風、風のかたまり

  • 船体が傾くこと

No.25 リビエラマガジン

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