2023年2月発行

神戸 峰男さん

今年のNHK 大河ドラマの主人公は徳川家康。"狸親父" とはまるで異なる人物造形が何かと話題ですが、生誕地・東岡崎の駅前ペデストリアンに立つブロンズ像の家康もまた、この歴史人物のパブリックイメージを変えました。高さ9.5メートルに及ぶ日本最大級の家康像は、凛々しい面持ちで駿馬の手綱をさばく、まさに英雄的な佇まい。この騎馬像の作者が、日本を代表する彫刻家・神戸 峰男

インタビュー:渡邊華子

彫刻家
名古屋芸術大学名誉教授

神戸峰男

Mineo Kambe

かんべみねお:1944年、岐阜県土岐市生まれ。武蔵野芸術大学では清水多嘉示、木下繁に師事。同大学卒業翌年の68年、日展初入選。以後、日彫賞、日展特選、日本藝術院賞等受賞多数。88年、名古屋芸術大学教授。2002年、中国新疆芸術学院客員教授。03年、名古屋芸術大学美術学部長。09年、日展理事。12年、日本藝術院会員。14年、名古屋芸術大学名誉教授。16年、日本彫刻会理事長。18年、日展副理事長。22年、公益社団法人日展事務局長。

歴史ある工芸の家に生まれ夢中だった弓道からの転身

― "陶磁器生産量日本一"の美濃焼の街としても知られる岐阜県土岐市。神戸先生は、この歴史と文化の街のご出身です。

神戸: 長く続いた製陶業の家に生まれました。

― 武蔵野美大での学生時代を除いて、岐阜の地で旺盛な創作活動を続けておられます。故郷でどんな少年時代を過ごされたのですか?

神戸: 三人きょうだいの真ん中ですが、姉と弟に挟まれた長男だから、周りからは、跡取りと目されてはいたと思います。でも、うちの親は「後を継げ」と強要することはなかった。だから、将来のことを特に意識することはなく、のんびりとした子ども時代をすごしました。親としては、「どうせ後を継ぐと決まっているのだから、それまでは好きにしてよい」ということだったのかもしれません。

― 代々工芸家のお家柄なのが先生の彫刻家としての素地を形成したということでしょうか。

神戸: 彫刻を立体造形に取り組む上での基礎のようなものと、無意識のうちに感じていた…ということはあるのかもしれませんね。でも、子どものころの私は、彫刻など意識したことはなかった。人々が神社に集まって盛んにやっていた弓道には心惹かれて、高校・大学では弓道部に所属して、全国大会に出たりもしました。

神戸峰男

彫刻科への進学
刺激に満ちた東京での生活

神戸: 美大に合格して東京に出てきてみたら、東京オリンピックの準備で大盛り上がりしていたわけですよ。東京には6年間いたのですが、非常に刺激に満ちた学生生活でしたね。アルバイトも初めての経験でした。その初出発が、東京五輪のメインスタジアムになる国立競技場の壁画づくりでした。材料運びや現場職人の助手なんですが、美大一年生としては、「世の中には、これほど楽しいことがあるのか⁉」という感覚でした。それから今日までの60年間は、その延長線のようなものです。この積み重ねで今日につながった。そう思っています。

― 湧き上がる創作意欲にかられて、表現ジャンルを彫刻に求められたのですか?

神戸: 私以外の彫刻家はそうかもしれませんね。若いころの私はあまりにも無知だったせいもありますが、絵画も彫刻も陶芸も造園も、どれも表現としてはさして違わないだろうと思っていたんです。
実を言えば、今もそう思っていて、その差異をほとんど意識せずにやってきました。広い意味ではいずれも造形であるし。彫刻なら造形の基礎を学ぶにふさわしい……まあ、後付けの理屈ですが。

裸婦像

自然美を追求すると
〝裸婦〟に行き着く

― 先生の多彩な創作活動の中でも、ことによく知られているのが〝裸婦像〟です。現在は副理事長をお務めの日展でも、裸婦をモチーフとした作品で繰り返し賞を受けられています。

神戸: 「裸婦」は美の形を追求する過程において、大きな目標であり、選択肢なんです。最近の美術教育では、写生、デッサンから入るという方法を取らないことも増えていると聞いていますが、自然の摂理・造形を知るためには、やっぱり「デッサン」は避けて通れない。それは自然を学ぶことであり、人間そのものを知るということ。それが美学生たちの将来の可能性を広げることにもつながる。私自身そういう美術教育を受けて自分の幅を広げることができたと思っています。

― 先生の多彩な創作活動の中でも、ことによく知られているのが〝裸婦像〟です。現在は副理事長をお務めの日展でも、裸婦をモチーフとした作品で繰り返し賞を受けられています。

神戸: 「裸婦」は美の形を追求する過程において、大きな目標であり、選択肢なんです。最近の美術教育では、写生、デッサンから入るという方法を取らないことも増えていると聞いていますが、自然の摂理・造形を知るためには、やっぱり「デッサン」は避けて通れない。それは自然を学ぶことであり、人間そのものを知るということ。それが美学生たちの将来の可能性を広げることにもつながる。私自身そういう美術教育を受けて自分の幅を広げることができたと思っています。

「何でもできる」は「何もできない」のと同じ

― ご自身の作品の中で、特に印象に残っているもの、あるいは転機となった出来事は?

神戸: 大学生時代の東京五輪がそうだったように、1988年のソウル五輪がひとつの転機でしたね。
この五輪大会にあわせて、ソウル・釜山に地下鉄が開業し、駅構内を陶壁画で装飾するプロジェクトが立ち上がったのですが、ある縁から、私が制作・指導を担当することになったんです。2年間、毎週のように韓国に通いました。
42〜43歳のころのことです。陶壁の作品をたくさん制作したのですが、その仕事をやり切ったとき、「焼き物との関係に一区切りついた」という思いになりました。それまでは、彫刻家としての仕事の傍ら、請われれば茶碗もつくったし、大きな焼きもののオブジェもつくった。私は27歳で名古屋芸大に職を得て、創作活動と並行して、学生たちとの語らいを続けてきたんです。
しかし、学生に向けて発した言葉を自分の作品の中で裏付けるのは容易いことではなかった。何でもできるマルチ作家というものは、何もできないのと同じじゃないのか?以来、仕事としての作陶はほとんどしなくなりました。決別というのではなく、少し距離を置いたという感じですね。

豊富な留学経験
未知の世界から新たな発見

― プロフィールに「2002年、中国新しんきょう疆芸術学院客員教授就任」とありますが…?

神戸: 「人の営み・姿」を求め西洋を中心に旅してきましたが、58歳の時に国費の留学制度に応募しました。出かけるからには新たな発見をしたかったし、未知の世界に身を置いてみたいとも考えていました。
彫刻界での留学はヨーロッパが主流といわれる中、私は新しんきょう疆ウイグル自治区を希望しました。
ウイグルには1年いましたが、最初の3ヶ月は留学生として、その後、客員教授に就任したことで、中国の多くの方々とも交流が持てました。

この体験は、私に新しい視点をくれました。それまで私が学んできたのは、要するにヨーロッパ人的価値観を普遍的なものと捉えてきて、それで40年ほどやってきた。ふと思いついて、ウイグルという異文化圏に飛び込んでみたら、そこには自分たちの風土・文化を背負った人たちがいて、彼らは彼らなりの歴史観でモノを見ているということを、改めて肌で感じたんですね。
そして、その地域の歴史や文化を知り、交流することの大切さも感じました。

ウイグル

価値観の多様性に改めて気づいた

― 〝還暦手前〟で大きな学びがあったというわけですね?

神戸: ウイグル留学でアジアを強く意識したし、ひいては日本を意識するということでもありました。そしてそれは、これから自分が創造しようとするものにも、自分自身をもっと意識するということにもつながりました。世界の人々の価値観というものが、実に多様であるということ、それを改めて自覚できた。そのうえで、何をすればいいのか。まだたどり着けていない気がしてるんですが。

― この学びが、それからの作品に与えた影響は?

神戸: それまでの彫刻観の多くが崩壊して、その結果、いろいろなものを受容できるようになった、ということでしょうか。それとね……作品一点を観せれば充分解っていただけると思ってきたし、その感覚を信じてもきました。しかし、それだけでは、自分を表現しきれないということも悟りました。
私たち彫刻家は、彫刻作品を通じて発言する。つまり私たちにとって彫刻とは言こ と語ば です。感覚の発露でありたい。今は、作品テーマをシリーズ化することにしています。
テーマに沿って自分の作品を、どう醸成させていくかということに取り組みはじめて、20年程になります。

徳川家康像
徳川家康像

徳川家康像を
街の人々のイメージで

― 「家康像」もシリーズ連作ですね。今年は大河ドラマもあって、徳川家康公に新たなスポットがあてられています。
大河ドラマの家康は「どうするどうする」と悩む優柔不断でナイーブな青年になっていますが、先生の家康もまた、まったく〝狸親父〟的ではありません。

神戸: 東岡崎駅前の「騎馬像」では、制作にあたり岡崎の人たちからアンケートをいただきました。
色々な意見が集まってきたわけですが、その多くが、力強い武将のイメージを抱いているとわかってきた。小さなお子さんたちが、かっこいい将軍のイラストを描いて送ってくれたりもしてね。でっぷりと肥えた狸親父のイメージじゃないんですよ。
歴史も調べていくと、家康公という人は、「東海一の弓取り」と称賛された弓道の達人でもあったというのです。

― 弓道に打ち込まれた神戸先生の学生時代とも重なっていますね。

神戸: 彼が名手だったというのは言い伝えで、本当かどうかは、また別の話です。でも、岡崎の人々の中には厳然とそのイメージがあって、期待もしている。
集まってきた街の声に、私自身、大いに触発されました。そうしたものが渾然となって、総合的にあの形に収まったわけですね。

― 歴史をテーマとしていても、必ずしも〝史実〟を形にするということではないのですね?

神戸: 歴史上の出来事を形に残すことだけが目的なら、事実を調べて忠実に描くのでしょうが、それだけでは作品になりません。
また、よく知られている歴史上の人物をモチーフとした彫刻作品は、鑑賞する側も、その人物について、ある程度の知識や印象を抱いていることが多い。
作者としては造形性を一番に、さらに時代背景と風土、とりまく人物相関なども必要な要素です。

今を生きている子どもたち若者たちがその彫刻作品を観たとき、人物への憧れと共に自分と重なるものをどこかに感じて、夢を持ってくれたら素晴らしいと思っています。

美術をもう少し〝基礎教科〟に寄せたい

― 子どもたちというお話が出ましたが、若い世代に彫刻の魅力を継承していくために、取り組んでおられることはありますか?

神戸: 日本でも、公園や駅前のモニュメントとか女性像など、多くの彫刻を見かけますが、なぜそこに必要なのか?という言葉も耳にします。もっと明快な、観る人が「なるほどね」と思ってくれる彫刻作品があっていい。そのわかりやすさを、現代の彫刻家が、芸術作品としてどう昇華させていけるか。今はそんなことを考えています。

― 各種のアート体験プログラムや文化庁の教育支援事業にも関与されておられます。

神戸: 日本の初等教育制度では、国算社理英の基本5科目を中心に勉強する。それだけで、子どもたちも先生たちもとても忙しい。情操を育てる芸術教科は後回しで、その部分が脆弱すぎます。

人間性を育て、個性を伸ばす芸術教育を、もう少し基礎教科の一環と捉えてもいいんじゃないでしょうか。私はいろいろな美術プログラムに関わり合ってきました。子どもたちと一緒に手を動かして、共に何かをつくっていくのがとても楽しいし、勉強にもなります。そういうワークショップのような体験も、地に足のついた美術教育だと思っているんです。

ベテランにこそ不可欠な反省

― 副理事長をお務めのいまも、毎年、日展に新作を出展されているとか。

神戸: 私には制作のサイクルというものが必要だと思っています。たとえば四季の移り変わりが、作家にはうまく作用するんですね。
日展のような年に一度の公募展もそうです。

私にとって日展は、反省の機会も与えてくれる。これがいいんです。「よし、これだ」と思って出展するんだけど、出せば欠点ばかりが目に入る。だから搬入ぎりぎりまで「どうしよう……」と悩み、最後は、「次回こそは」と決意を新たにする。そういうサイクルが、私を前に向かせてくれるんです。

― 先生ほどの大家でも、ぎりぎりまで苦しまれるのですね。

神戸: 若いときなら勢いだけでも何とかやれる。作品の持つ勢いは、それはそれで魅力的なものです。
しかし、年を重ねていくと、それだけでは成り立たなくなってくる。
だからこそ、「作品としてどう見せていくか」です。「これでいいのか」と自分に問い続けるにつきる。自己否定を重ねることになるんだけど……でも、自己否定って、自分ひとりではなかなかできないじゃないですか。

― その点で先生には、奥様という強い味方がおられます。

神戸: そうねえ…まあ、苦しいときに気遣いしてくれる、同志です。
妻とは18歳のとき、武蔵野美大の入試の日からの付き合いです。以来60年です。

― 対等なパートナーシップがあってこその作品ですね。素敵です!

日展
パートナーシップ

古いだけでも価値でも、人に磨かれてこそ

― 現役作家として、「古美術」へのこだわりも相当だとか。

神戸: 古いというだけでも価値です。形あるものは壊れるのが必然。湯呑み茶碗は床に落とせば割れてしまいます。でも使う人が大切に扱えば、何十年も何百年も形が残る。そうやって今に伝えられたのが優れた古美術品であり、アンティークです。
人が持ち続けられてきたということが肝心。人が手許に置いてきたものでないと、つくった人や使ってきた先人たちの熱量が伝わってこない。
その上で長く残ったものにこそ価値があるんです。シナーラがまさにそうですね。私もシナーラを拝見しましたが、100年前の人の温かみに加えて、変化する自然の美が100年分詰まっていると感じました。

― まさに〝我が意を得たり〟のお言葉です。シナーラのほか、池袋のリビエラ東京は74年、リビエラ逗子マリーナは52年、リビエラカントリークラブはまもなく100年。私たち自身の手で日々磨き上げて、今に至っています。

神戸: 創り手としての私は、時代を超えた普遍性を表現したいと願ってきました。この世界で最大の普遍性を持つものといえば、自然から生み出された造形です。
まだまだ未熟で半端な仕事しかできていないし、死んでもたどり着けそうにないとも思っていますが、私はこの先も自然美が持つ普遍性を、自分の手で形にしていくことに挑んでいきます。

― 世界とつながる相模湾から、日本の芸術文化を国内外に向けて発信していきたいです。ぜひご一緒に‼


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