2023年10月発行

絹谷 幸二

霊峰富士を赤く染める酸化鉄が、巡り巡って人間の体をつくっている―文化勲章を授与された日本最高峰の芸術家が説くエコロジーに、リビエラは心から共感しています。中学生のころから挑み続けた賞レース、徹底的に基礎を叩き込み芸術の根本を追究した藝大時代、アフレスコ古典画技法との出会い……洋画家・絹谷幸二さんインタビューの後編です。

インタビュー:渡邊華子

洋画家
東京藝術大学名誉教授
日本藝術院会員

絹谷幸二

Koji Kinutani

きぬたにこうじ:1943年奈良県生まれ。68年東京藝術大学大学院修了。71年イタリア留学( ~73年)。74年安井賞受賞。77年文化庁芸術家在外研修員として渡欧。79年日動画廊にて個展(83年、89年)。87年日本芸術大賞受賞。89年毎日芸術賞受賞。97年長野冬季五輪公式ポスター原画制作。2001年日本藝術院賞受賞、日本藝術院会員となる。07年「絹谷幸二・幸太展」( 日動画廊)。09年「絹谷幸二賞」開設。14年文化功労章顕彰。15年日本放送協会放送文化賞受賞。16年「絹谷幸二 天空美術館」開館( 大阪)。21年文化勲章受章。現在 文化勲章受章、文化功労者、日本藝術院会員、独立美術協会会員、東京藝術大学名誉教授。

〝賞獲り〟を禁じられた
東京藝大の学部生時代

― 絹谷先生の来歴を拝見すると、安井賞から文化勲章に至るまで、数々の賞に彩られた栄光の歴史です。いわゆる〝賞獲り〟を意識されてこられたのでしょうか?

絹谷: 絵描きとして世に出たいと思うなら、それをまったく目指さないと言ったら嘘になるでしょうね。中学生のころから挑戦していました。う~んと背伸びをして、100号3連という大作で出品したりして……。でも、東京藝大には「学部生のうちは外部コンクールへの応募不可」という決まりがありまして、そんなことには脇目もふらず徹底的にセオリーを磨けと言われる。焦燥感が募ったものです。だって、誰よりも絵がうまくなりたくて藝大に入ったのに、勝負をしてはダメだというのだから。私が専攻した洋画科では裸婦を課題に出されるのですが、同じ入試を通って、同じ技術を徹底的に仕込まれた10人がいたら、ほぼ同じ絵が10枚できあがる。モデルさんを替えたって同じことです。痩せ型の人、ふくよかな人、いろいろいますが、裸の人体なんだから、パーツとして付いているものはほぼ同じ。それを同じ技術で描くのだから差なんか出ない。それだけに、描き手の個性やものの捉え方が重要だということです。

― 技術ではなく、書き手自身ということですね。日本画のモチーフは花鳥風月、すなわち自然の万物です。美人画だって、モデルは美しい柄の和服をまとっている。色彩といいフォルムといい、日本画のモチーフは裸婦より断然豊かなんですよ。その意味で、日本画専攻をうらやましく思ったこともありましたよ。

身につけた技術を壊す覚悟

絹谷: そういう基礎の反復で藝大生としての画力を練り上げていくということなのですが、そうすると、いざ自分だけの絵を描こうとしたとき、身についた技術でがんじがらめになっている。絵描きになろうと思ったら、今度は技術を捨てる、壊す努力が要ります。これが容易いことではない。必死に身につけたものだけに、捨てようとしても、なかなか捨てられるものじゃない。ただね、モデルさんを睨みつけながらひたすら描いていると、「この人は今ポーズを取りながら、何を考えているのだろう」とか「なぜこの仕事に就いたのだろう」と、その人について、あれこれ思いを巡らすようになってきます。

― ひたすら描くことが、人間考察、哲学を深めることに?絹谷 風景画でもそうです。例えば赤富士の赤は山肌の砂鉄の作用ですが、雨が降れば山肌の砂鉄が川に流れて海に到り、海洋生物の栄養となって、巡り巡って私たちの体をつくる必須のミネラルとなるわけです。赤富士を無心に写生することで、「人間と大地は直接つながっている」と気づけたりする。

― 人間と自然の関わりを理解できるということでしょうか。哲学や自然科学にも通じますね。

絹谷: 絵描きはアスリートだと言いましたが、哲人だったり科学者だったりの側面もあるわけですよ。広い分野を見る学問といいますか、ね。そういう思索や研究を積み重ねることで、培ってきた技術という殻を、自分で打ち破っていく。創造とは、そういうものです。私が初めて賞を得たのは、学部を卒業して大学院に進んだ年でした。

環境負荷が少ないアフレスコ

― 研究といえば、先生は「アフレスコ古典画技法」研究でも世界的に知られています。アフレスコとの出会いは、イタリア留学ですか?

絹谷: ということでもなくて、藝大のころから興味を持っていました。大学院でのテーマは壁画ですからね。アフレスコは、壁に漆喰を塗り、その漆喰が生乾きであるうちに、水で溶いた顔料で描きます。生乾きだから、作品の制作中にもどんどん水分が気化して、空気中の炭酸ガス(CO2)を吸って描いた絵は石灰岩の中に閉じ込められ、永遠に新鮮な色を保ち続けます。
 ヨーロッパでは有史以前から洞窟壁画などに使われていた古い技法ですが、今流に言えば環境負荷の少ないもので、二酸化炭素の吸着に役立っていたわけです。人は、大昔からそういうことを知っていたのだと思えば、考えさせられるものがありますね。

― 大変興味深いお話です。私たちリビエラは環境活動に尽力しながら、「古き良きモノ」に敬意をはらい未来に受け継いでいこうとしていますが、現代の課題を解くヒントもありますね。

絹谷: 先人が残したものに学び、次につないでいくことには、やはり大きな意味があります。

― 絹谷先生が旺盛な創作活動と並行して、メディア活動や後進育成のための賞の創設、子どもたちとのワークショップに熱心だったりするのも、そのためなんですね。

死生観心や夢は未来に続く

絹谷: 私は若いとき、「死」というものは怖いものだと思っていました。でも今は、「仏様のところに行くのは悲しいことじゃなくて、むしろ楽しみだ」と言っておられた元東大寺管長・上司海雲さんの言葉がわかるように思います。それは、生と死という相反する概念は別々のものではなく、ひとつのモノの部分だと考えるようになったからです。例えば、絶対に混ざらないといわれる水と油も、人間の体の中には両方存在しますよね。罪と罰、戦争と平和も同じ世界に存在している。そう考えると、生も死も同じなんです。形あるものはいつか壊れます。命もいつかは消えます。でも人の心や夢は、なくならない!私は、全作品に共通してこの思いを込めているので、きっと私の心や夢は作品を通じて未来にもつながっていくと思っています。そう考えれば死も辛くない。私が死を迎えたときは、「卒業おめでとう」と言ってもらいたい。今は楽しいことしか考えていないです。

― それは大いに共感します。人生は、さまざまな人との出会いや経験を経て、人生の締めくくりに向かうほど、光輝く。そんな人生を送りたいものです。私たちリビエラでも、「セレブレーション・オブ・ライフ」といって、おひとりおひとり異なるストーリーを紡いできた、その方の人生を讃えたいという想いがあります。人生の節目節目のお祝いから、人生の旅立ちを迎えた際のリビエラの海洋葬「新たな旅立ち」まで、皆さまのお役に立てるよう準備しています。

蒼穹夢譚

「蒼穹夢譚」2001年 第57回日本藝術院賞受賞

アンセルモ氏の肖像

「アンセルモ氏の肖像」1973年 安井賞受賞

黄金背景 生命花

「黄金背景 生命花」2018年

アフレスコ画

アフレスコ画を学ぶイタリア留学時代

日乃出爛漫富嶽

「日乃出爛漫富嶽」2021年

絹谷幸二

絹谷幸二さんのアトリエ

美が生命を守る未来へと伝えたい

― 先生は富士山を題材とする作品を多くお描きですが、富士山を好まれる理由は?

絹谷: 渡邊家も富士山の麓がご出身ですね。私は藝大入学のために、夜行列車で故郷・奈良を後にしたわけです。一路東へと向かう列車がいよいよ関東に迫るとき、どーんと視界に広がったのが富士の偉容。われわれ東京で働く西日本出身者にとって、富士の山は若き日の希望と不安の象徴です。心の支えといいますかね。 

― リビエラの2つのマリーナから富士山を見ていると、日本人で良かったなと思いますし、ほっとします。

絹谷: 海側―すなわち引いた位置から美しい富士山の姿を眺めることには、日本人にとって格別の意義があると思うんですよ。世界の中の日本を意識することにつながるから。それだけに、これから先も富士山には美しいままでいてもらわなければなりません。

― 以前、絹谷先生とご一緒して船上から富士山を眺めていたとき、朝日に照らされ私たちの顔も赤く染まったほんのわずかな時間は、忘れられません。自然美でした。陽に映えて富士を赤く見せる砂鉄が、食物連鎖の循環の中で、巡り巡って私たち人間の体をつくるミネラルになっている―先生のこの考え方に則れば、富士山の美を守ることは、私たち自身の生命を守ることに直結しています。絹谷幸二さんのアトリエ絹谷幸二 「天空美術館」で子どもたちへのワークショップ絹谷 美が生命を守る―絵描きとして、声を大にして訴えたいことです。日本藝術院に「子供 夢・アート・アカデミー」というプログラムがあるのですが、こうした取り組みについ前のめりになってしまうのは、未来を担う子どもたちに、この思いを伝えたいから。

― リビエラの思いもまったく同じ。子どもたちの未来に向けた活動では、ご一緒できることがいろいろありそうです。

絹谷: 相模湾の船上から、リビエラの渡邊会長と一緒に眺めた富士山が、私もまだ眼に焼き付いています。そのような感覚も、子どもたちの未来に伝えていきたいものですね。

― ぜひ!

絹谷幸二 「天空美術館」で子どもたちへのワークショップ


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