2022年4月発行

鈴木 茂晴

バブル崩壊以来30年ぶりに日経平均株価3万円台を回復し、俄然注目を集める証券業界。そのトップリーダーが鈴木茂晴さん。団塊世代としての幼少期から、青春ど真ん中の慶應ボーイ時代、“ワークハード、ライフハード”な第一線の証券マン生活……そして経営者としてのSDGs実践まで、たっぷり語っていただきました。

インタビュー:渡邊華子

日本証券業協会 会長
大和証券グループ本社 元会長

鈴木 茂晴

Suzuki Shigeharu

1947年、京都府京都市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。1971年、大和證券入社。株式営業、債券営業、会長秘書、米国留学、法人営業とキャリアを積み、1997年に取締役就任。専務取締役を経て、2004年大和証券グループ本社取締役兼代表執行役社長CEO、大和証券代表取締役社長に就任。2011年同会長。2017年退任の後、現職。

官舎住まいの幼少期
音楽サークル漬けの大学時代

― いつお目にかかってもダンディな鈴木さん。昨年1月の日経新聞『私の履歴書』でも拝見しましたが、ご両親も美男美女カップルと評判だったとか?

鈴木: その話からですか? 確かに自慢の母でしたね。実におおらかで、おしゃれな母でした。一方の父は、真面目で保守的、几帳面な人だった。

― 慶應義塾大学のご出身ですね。今は母校の評議員もお務めとか。

鈴木: 会社に入ってからそして今もなお、お客様や社内、社外の方々との関係で、慶應のつながりはなくてはならないものです。
親の負担も考えて、地元・関西の大学に進もうと思っていたのですが、東京に行ってもよいと言われました。私自身も、修学旅行で東京に行ったとき、従兄に銀座のライブハウスACB(アシベ)やステーキハウスのスエヒロに連れていかれて大感激。しゃれた母が〝慶應ブランド〟に憧れていたものだから、「慶應もいいわね。」と発破をかけられて。これは上京するしかないと思いました。
慶應では音楽サークルに入りまして、学業そっちのけでサークル活動三昧の日々を送りました。といっても、演奏はコードを弾くくらい。楽器をいじるより、お酒と麻雀のクラブです。海の楽しさを覚えたのもこの頃。自動車を持っているサークル仲間がいて、葉山の一色海岸や森戸海岸に繰り出したものです。

― 映画の〝若大将〟みたい。まさに慶應ボーイの青春ですね。

鈴木: 当時の一色海岸あたりは外国人の別荘もあって、家主が帰国する夏場は貸してもらって、サークル仲間と合宿するわけです。青い塗装の家で〝ブルーシャトー〟と呼んでいました。グループサウンズの名曲のもじりですね。
こんなふざけた音楽サークルは俺たちが卒業したらなくなるだろうと言い合ったものですが、私が卒業した後に、竹内まりやという逸材が入部して状況一変。「慶應リアルマッコイズ」という名のサークルは、いまや学内有数の名門です。

面接後、即内定
大和證券に入社

― 大学卒業後、大和證券(現・証券)にご入社。最初から金融業界を志望されていたのですか?

鈴木: 就職のことなど、ほとんど考えていませんでしたね。ところが、四年生になったとたん、仲間たちは一斉に就職活動を始めた。「鈴木、お前も暢気にしてる場合じゃないぞ」というので、どうしたものかと従兄に相談したら、当時、銀行の調査部にいた従兄は「これからの時代は、リース会社か証券会社だ」とアドバイスしてくれた。
最初にリース会社を訪ねてみたら、人事の担当者が「本当にうちの会社に入社する気あるの?」と言う。人事部がこんなことを言う会社はどうかな、と思いました。
次に訪ねたのが、大和證券です。慶應OBは野村證券のほうが多かったのですが、先に大和を訪ねようと思ったのは、本社ビルが増築されたばかりでピカピカだったから。行ってみると「ちょうど今日が筆記試験日だ」と。その場でペーパーテストと副社長の面接を受けて、帰りにエレベーターに乗ったら、副社長が追ってきて「きみは合格だ」と。
証券会社でどんな仕事をするのかもわかってなかった。でも、せっかくだから、ここでいいやと。

― 鈴木青年の資質を一発で見抜いた副社長さんの慧眼に脱帽です。

鈴木: 入社後は、本店営業部で3年。その後、大宮支店に転勤。東京でも遠いと思っていた関西出身者としては、「思えば遠くに来たもんだ」と感嘆したものです。
株を売るという仕事が水に合っていたようで、金融の仕組みもよくわからないというレベルで始めたわりには、営業成績は悪くなかった。いつしか株式営業ほど面白い仕事はないと思うようになっていました。

鈴木 茂晴
鈴木 茂晴

足で稼ぐセールス
株をやらない鎌倉新支店に

鈴木: そんな矢先、支店に届いた1枚のFAXを見て仰天しました。鎌倉に投資信託と債券がメインの新店舗を出す、そこへ行けと命じる辞令です。「株専門で営業成績トップクラスの俺がなんで債券なんだ!?」と憤ったものの、人事発令には逆らえません。実際には普通の店舗としてスタートすることとなる鎌倉支店へ渋々異動したのですが、着任してみると長い証券人生の中で、もっとも楽しいといえる場所でした。
新設の支店ですから、顧客はゼロ。一軒一軒、足で稼ぐセールスで新規顧客開拓するわけです。当時の鎌倉には同業他社の支店はなかったので、ライバルは同僚でした。逗子や横須賀、横浜と境を接する大船あたりにも足を延ばしてせっせと歩き回りました。

早朝ゴルフにテニス、ヨット
トリプルヘッダーの週末

― はつらつとした活躍ぶりが目に浮かぶようです。

鈴木: 鎌倉支店はみんな仲が良くてね。
鎌倉は、大好きな海が目の前。これは楽しむしかないと、着任早々支店仲間と中古のディンギーヨットを購入しました。小さな舟とはいえ経費がかかります。
そこで同僚たちに呼びかけて、支店内にヨットクラブをつくりました。諸経費から逆算して年会費を1万円に設定したら「高い!」という声が出たので「女性は半額」。支店のほぼ全員がメンバーになりました。ディンギーだから無理やり詰め込んでも5〜6人しか乗れない。40人ほどのメンバーを交代で乗せるので、夏場の土日はずっと海に出ていましたね。
ゴルフもずいぶんやりました。支店の仲間とプライベートで回るのは茅ヶ崎ゴルフ倶楽部。ここは午前8時までの早朝ゴルフが格安で、先着10組限定なので暗いうちに集合しないとプレーできない。夜中の3時に行っても、もう先客がいたなんてこともあったなぁ。
8時にプレーを終えたら、クラブハウス名物のカツサンドを食べて、次は支店のメンバーをヨットに乗せなければならないから、海へ移動。毎週末の出航メンバー予定表は、めいっぱいでした。
リビエラ逗子マリーナの、今はマリブホテルが建っているあたりはテニスコートでしたよね? その後は、さらにメンバーたちも合流してテニス。逗子マリーナでナイターテニスもよくやりました。鎌倉支店時代の週末は、本当に忙しかった。
当時二人目を妊娠中だった妻には本当に感謝しています。現在はゴルフが夫婦共通の趣味です。

― 現在ハンディーキャップ9と素晴らしい腕前。

鈴木: リビエラカントリークラブでのトーナメント観戦では、トッププロの迫力と、タイガーウッズのスピーチに夫婦で興奮しましたね。

― 当時ウィークデーは仕事で目一杯、土日も休む暇なし?

鈴木: 若かったからできたこと。でも、鎌倉支店はみんなが意気軒昂で、和気藹々としていました。そして、支店長も立派な人でした。
その後も池袋支店で営業をしていた私に、突然、会長秘書への異動を命じられました。驚きの人事です。

― 経営者修業の始まりですね?

国際派会長の
愛ある〝千本ノック〟

鈴木: それまでの12年半、個人客相手の営業しか経験していない私にとって、大和証券の国際部門の礎を築いた千野宜時会長に仕えることなど、まったくの想定外。初めて挨拶したときに「きみ、当然、英語は大丈夫だよね?」と聞かれて面食らい、「……ポテンシャルだけはあると思います」と答えたものです。
自分でいうのもなんですが、千野さんとは相性は良かったと思う。秘書は阿吽の呼吸というか相性が大事だからね。
調べ物の要求レベルが高かった。わからない分野については担当部門にいる私の入社年次の近い人たちに聞いて報告すると、会長は「俺が知りたいのは課長レベルの見解ではない。担当役員の話を聞いてこい」とどやされ鍛えられました。支店勤務時代には会う機会もなかった役員たちも、会長の御用だといえば無下にするはずがありません。
千野会長の調べ物指令は3年間、〝千本ノック〟のように続き、私の血肉になりました。自分の専門領域を越える見識が身についたということもありますが、経営者の物の考え方がうっすらとわかるようになったのが貴重でしたね。

鈴木 茂晴

モットーは「ワーク・ハード、ライフ・ハード」

― 公私にわたりアグレッシブ。とはいえ、将来を嘱望されて昇進を重ねていけば、趣味や楽しみに多くの時間を充てることは、さすがに難し
くなったのでは?

鈴木: 週末は躍やっき起になって楽しんでいました。余裕を残すより、いろんなことを全力でやっていると道が開けてくるし、何よりそのほうが楽しく幸せです。40歳ごろからは、バスフィッシングにハマりましてね。年10回、大会があって、優勝したらプロへの途がひらかれるらしいと聞いたので、本気で挑戦しました。

― プロの釣り師を目指されていたんですか!?

鈴木: プロを目指したのですが、部長ともなると、平日・週末は関係なくゴルフなどのスケジュールが入るので断念せざるを得なかった。バスプロになっていたら、スタープロになっていたかもしれませんよ。

― 近年話題になっているワークライフバランスの観点では、〝証券界のトップ兼バス釣りのスーパースター〟というお姿を見てみたかったような気もします。

鈴木: 私の場合、ワークもライフもハードなレベルでバランスしていたということかな。
海での釣りはやっていなかったが、リビエラリゾートクラブに入会してから、海釣りを楽しんでいます。その魚をリビエラのシェフにすぐに調理してもらったり。そういうことが至福の時間です。

鈴木 茂晴
鈴木 茂晴
鈴木 茂晴

いざとなれば、決断する

鈴木: 1991年の暮れのこと。そのとき私は、企業の資金調達をお手伝いする引受部の部長を務めており、エキュ(ECU:欧州通貨単位)建ての新型ワラントを起債するプロジェクトを手がけていました。マーケットにローンチするその日、欧州連合(EU)の創設を定めた条約をフランスは国民投票で否定したという報道が飛び込んできたのです。

― マーストリヒト条約ですね。大筋合意してからも各国の足並みがなかなか揃わず、批准発効したのはさらに2年近くの後でした。

鈴木: ユーロ発行をめざす協定だったわけですが、91年暮れの時点では不透明だった。ただ、そう遠くない将来にエキュがなくなってしまうということではあったから、社内は騒然ですよ。私は何とかできると考えていたので「うまくやりますから、このままやらせてください」と言いました。

― 失敗を恐れなかった? さすがです。

鈴木: もちろん不安はありました。しかし、会社員でも部長クラスともなれば、相応のリスクをとるべきだと考えてきたし、今この立場になって思うのは、たとえ万一の事態が起きたとしても、一介の部長に全責任を負わせるようなことは違うと感じます。
ただ、こういうことがあったからこそ、見込んでくれた先輩上司がいたのかもしれないと、今は思います。

評判が人をつくる
実力は後からついてくる

―「出世の秘訣は?」とか「キャリアアップのコツは?」と問われることも多いのでは?

鈴木: そういうときは「運」と答えることにしています。他に言いようがありませんから。
でも、ひとつ思うのは「評判が人をつくる」ということです。何かがきっかけで「あいつはできる」と評判が立ったら、その期待を裏切らないように懸命に努めれば、実力は後からついてくる。
“人気企業ランキング〟などもそうで、必ずしも会社の実態を反映しているとは限りません。でも、上位の会社はせっかくの評判を落としたくないから、真面目に努力を続ける。そうすると、結果として本当に良い会社になっていきます。
人も企業もそういうことじゃないか、と思います。

女性が活きる職場は、
男性にだって勤めやすい

― 日本証券業協会は、国際連合のSDGs(持続可能な開発目標)にいち早く取り組み表明されたことでも〝評判〟です。

鈴木: 2015年9月の国連総会で採択されたSDGsの『2030アジェンダ』を一読して、「誰も置き去りにしない」の理念に、私自身、大いに共感したんです。即やろうと檄を飛ばしたわけですが、といって、《17の世界的目標》《169の達成基準》《232の指標》のすべてに、1つ1つ直接貢献するのは難しい。
SDGsの良いところは、全人類が取り組みに参加可能で、誰一人置き去りにすることなく、ひとりひとりの小さな積み重ねを、大きな成果につなげていく点でしょう。私たちはターゲットを絞って、①ファイナンス(資金調達)、②ジェンダーフリー、③子どもたちへの支援、の3本柱を立てました。
①は本業です。②については、90年代から女性活躍推進に取り組んでいました。
かつての証券業界は典型的な男社会でした。でも実は昔から証券会社では大勢の女性社員が働いていた。優秀な人材も多かったはずですが、能力に見合う処遇を得た女性が少なかったのは、ひとつには長時間勤務を美徳とする悪しき企業文化のせいです。お客様が「20時過ぎなら話ができる」と言えば、残業するわけです。商談の後、書類仕事をして帰宅は深夜。深夜までとなれば、当然、業務時間内には余力を持たせます。そうでなければ体がもちませんから。
私自身、若い頃からそういうスタイルで働いてウンザリすることが多かったから、社長になったとき思い切って「19時以降の残業は事前申請」と号令しました。現場から「夜遅くにしかつかまらないお客様もいるのに」と反発もありましたが、「お客様にもご理解いただくように」と言いました。トップセールスマンは、お客様とちゃんと対話し関係性を作れる器量がありますから、夜遅くでなくてもきちんと約定してくるのです。
昼間は猛烈に働き、その後は家族や友人と食事をする。女性が勤めやすい職場は、男性にだって勤めやすいのです。
社長在任7年間で、女性社員は辞めなくなり、1000名以上の女性一般職が総合職に転換。4人の女性役員を誕生させることもできました。うち1名は現在、副社長です。

証券業界全体で
SDGsに取り組む

鈴木: そして、SDGsの実践として特に力を入れているのが、③子どもたちへの支援。これは日本証券業協会が主導して、証券業界全体で取り組んでいることです。
具体的な成果をあげているもののひとつに、「こどものみらい古本募金」があります。これは証券会社の本支店に古本回収ボックスを設置し、営業窓口を訪れるお客様に、ご家庭で読み終えた本を寄付していただくという仕組み。
ささやかな取り組みではありますが、証券業界全体では1500店の支店網があるわけですから、積み重ねれば、かなり大きな力になります。
さらに、証券会社の株主優待メニューの一つとして「株主優待SDGs基金への寄付」を設け、寄付を受け入れています。

― それは多くの企業が無理なく参加できる貢献策ですね!

鈴木: リビエラグループも様々なSDGsの活動をされているようですね?

― 私たちリビエラグループは、2006年に「リビエラ未来創りプロジェクト」を立ち上げました。現在はSDGsへの取り組みとし、環境、教育、健康・医療の3本柱で具体的な活動を継続して行っています。また、①自社だけでできること、②社外の方々と手を携えて行うこと、③人と人をつなぎ合わせるハブを務めること、の3カテゴリーで捉えています。2030年までのカウントダウンを迎えた今、行動の10年として開始した「リビエラSDGsフェス」は、③の実践です。

鈴木: 志を同じくする人々が一堂に会する〝場〟の提供は、まさにリビエラならではですね。SDGsの輪が広がっていく期待がもてます。今後、ぜひ何かご一緒に!

「幸せな気持ちでいる習慣」
それこそが幸せに過ごす極意

― 多趣味でいらして、いつもアグレッシブな鈴木会長。現在の休日の過ごし方を教えてください。

鈴木: 人生が充実してきたこの時期に、リビエラリゾートクラブに入会したことは、とても幸せなことです。緊張感あるゴルフのプレーとは別に、リゾートクラブでは大好きな海に出て、ゆったりとした時間を家族・友人と過ごす。また、相模湾は急激に水深が深くなるから釣り場としては最高です。そして豊かな森・海を目の前にクラブメンバーとしてよい時間を過ごしています。

― どんな局面でも、それを楽しみながら力に変え、幸せをかみしめていらっしゃるようにお話を伺いました。

鈴木: どんなに能力が高くても、どんなにお金を持っていても、「幸せな気持ちでいる習慣」がなかったら幸せにはなれない。そう思います。どんなに幸せそうに見える人でも、苦労もあるし辛い思いもしている。だからこそ、どんな事に対しても幸せと感じる習慣を持つことが肝心ですね。

鈴木 茂晴

X ポスト facebookシェア LINEで送る