2019年12月発行

岡本 永司

護国寺第53世貫首・岡本永司師

かつては山門を望んだ
元禄以来の名刹

文京区音羽の地に建つ護国寺は、徳川五代将軍綱吉公の生母・桂昌院の発願により創建された真言宗豊山派の大本山。車で10分の近間もあってリビエラ東京は、かねて格別のご縁をいただいてきました。「白雲閣さんは開業70周年……ですか? なるほど、確かにそんな歳月が流れたわけですね」
温顔をほころばせたのは、第五十三世貫首・大僧正の岡本永司師。「白雲閣と僧侶としての私は、いわば〝同級生〟です。私は昭和25年に学業をおえて、板橋区大原町の自寺・長徳寺の住職に就きました。と同時に、戦災を免れた護国寺にも奉職。当時この辺りは、池袋の駅前から護国寺方面にチンチン電車として親しまれた路面電車が走っていて、護国寺と長徳寺を一日に何回も往復していました。22歳の私は長徳寺の戦災復興に奔走したのですが、そのとき檀信徒さんたちの間で話題になっていたのが白雲閣。闇市とバラックが広がるばかりだった池袋に壮麗な料理屋があるらしい、法事の後の食事は少し贅沢してみようか……というわけですね。自然と白雲閣について見聞きすることが多かったし、護国寺での務めを通して、堀江浅蔵さんをはじめとする白雲閣の皆さんと直接知り合うことともなりました。リビエラと名前が変わった今も創業の精神が変わることなく、真摯にお客様におもてなしする姿勢をいつも感じています」「白雲閣の料理に惹かれたのは、近隣の檀信徒さんばかりではありません。当山は大本山ですから、僧侶の会合もあります。その席にふさわしい設えと料理が供される店といえば、この界隈では白雲閣。しばしばお世話になったものです」」(岡本師)

嘉永 雑司ヶ谷音羽絵図

嘉永 雑司ヶ谷音羽絵図

創業者の墓を詣で
貫首の法話に心を養う

堀江浅蔵が墓所を贖ったのも護国寺。池袋を見下ろす位置にひっそりと立った墓碑の下には、浅蔵・マチ夫妻のほか、痛恨の出火事故に際して犠牲となった愛娘や、浅蔵が郷里から移した縁者らが眠っています。
新年最初の社員総会の朝はこの墓所に参り、社員全員で貫首様のご法話を伺うのが、白雲閣の習いとなりました。新たな一年に向けて心を養うこの大切な慣行は、リビエラとなった現在も受け継がれています。
開業以来のお付き合いを賜り、創業者が思いを寄せた名刹は、今もリビエラの心の拠りどころです。

護国寺

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