2019年12月発行

高野 之夫

生まれも育ちも豊島区西池袋。リビエラ東京からほど近いこの街の古書店主として地域の声望を集め、区議・都議を経て、区長に就任。少子高齢化のトレンドを受けて一時は「東京23区で唯一の“消滅可能性都市”」となった豊島区を区民参加の「女性が暮らしやすい街づくり」と劇場整備を始めとする文化事業推進で「借りて住みたい街」へとV字回復に導く……。地元愛とリーダーシップで21年の長きにわたり29万人都市を牽引し続ける高野之夫豊島区長にお話を伺いました。

豊島区長

高野 之夫

TAKANO YUKIO

1937(昭和12)年東京都豊島区生まれ。立教大学経済学部卒業。卒業後は、池袋西口にあった芳林堂ビルの最上階で古書店「高野書店」を経営。1983年豊島区議会議員に初当選。1989年6月東京都議会議員に転じた後、1999年豊島区長選挙に初当選。以来6期21年にわたり現職。公益財団法人としま未来文化財団理事長兼任。

白雲閣とも重なる少年の日々の記憶

― 高野区長は生粋の〝池袋っ子〟。卒業された小学校も、リビエラ東京から徒歩で10分ほどのところです。

高野: 2020年は「白雲閣」開業から70年の佳節とのことですから、ずいぶんと長きにわたるご近所付き合いということになりますね。白雲閣が建ったときのこともよく覚えています。戦後まもない当時、あの辺りは私たち近所の子どもにとって、楽しい遊び場でした。
遊び場といっても、ブランコやジャングルジムのような遊具が整備された公園があったわけじゃありません。今の姿からは想像もつかないことかもしれませんが、焼け野原になった池袋は、あのころ戦後の食糧難に伴うマーケットが巨大化し、駅から二股交番辺りまで伸びていました。駅前を少し離れると点々と畑が残っていたし、小さな民家が並ぶ住宅街は、人通りもずいぶん少なくて、私たちは日が暮れるまで、野原を駆け回っていました。

仲道郁代サロンコンサート

仲道郁代サロンコンサート
リビエラ東京に於いて

街の変遷を目の当たりに
生活者のひとりとして

高野: そんな地に、あるとき姿を現したのが白雲閣でした。やんちゃ盛りの子どもの目には、まさに忽然と、壮麗なお城が現れたようにさえ見えました。あれは2階建てだったのかな?

― 木造3階建て、でした。

高野: 実に立派な建物でしたよね。私たち子どもは、中に足を踏み入れるなど及びもつかなかった。白雲閣は、偉い大人たちがご馳走を食べる場所だと思っていましたから。
私は大学も立教ですから、毎日、白雲閣の前を通っては「いつかここを接待に使う身分になりたい」などと夢想したものです。私だけじゃない。あのころの立教大生は、大半がそんなふうに思っていたはず。高度経済成長路線をひた走って、組織での立身出世が、何よりの甲斐性とされた時代のことです。
そういう時代の価値観の中で発展していったのが、都内有数の繁華街としての池袋でした。エネルギッシュだが、半面、街並みは雑然として、いつしか混沌とした感じにさえなっていった。そんな移り変わりを私は目の当たりにしてきました。この街で暮らす者のひとりとして。

わが街だからこそ
なんとかしたい

― 高野さんは、大学卒業後、池袋駅前で古書店を経営。45歳のとき政界進出し、豊島区議2期、東京都議3期。1999年に豊島区長に初当選し、以来現在まで6期連続21年の区政は、東京都の区政として史上最長。
近年では、手塚治虫ら黎明期のマンガ家たちが暮らした区内の木造アパート「トキワ荘」の復元(「トキワ荘マンガミュージアム」2020年3月完成)や、中国・韓国との文化交流(東アジア文化都市)、池袋西口公園の再整備、区立芸術文化劇場の開設など文化事業の推進によって、豊島区のイメージ刷新をリードしたことで知られています。

高野: 都市とは生きものですから、いろいろな表情があっていいと思っています。夥しく灯る色とりどりのネオンも、街の特徴であり、魅力と捉えることはできるでしょう。
ただ、そういうふうに発展し、変わっていく街に身を置きながら、私は、この街を少しでも良くしたい、生まれ育った街だから―という思いを強くしていきました。外から街を訪れる人にとっての魅力と、内側で暮らす人にとってのそれは、必ずしも同じではありませんから。
この思いを同じくする街の方々に背を押され、長く支えられて、私は議員になりました。「わが街だからこそなんとかしたい」という志は、区議・都議のころも、区長を務める今も変わりません。

東京建物BrilliaHALL

Hareza池袋の「東京建物BrilliaHALL」(区立芸術文化劇場)が2019年11月1日オープン。

グローバルリング

池袋西口に野外劇場「グローバルリング」が2019年11月16日オープン。

「消滅可能性」の解消
住みたくなる街づくり

― 2014年、日本創成会議が公表した「消滅可能性都市」で、豊島区は東京23区で唯一リスト入り。このニュースは衝撃をもって受け止められました。

高野: 池袋駅周辺の賑わいを見ていると、にわかには信じられない〝消滅〟ですが、この指標は「出産適齢にある女性住民の数が半減」といった人口動態予測に基づくものです。
池袋駅という交通要衝を持つ豊島区は多くの人々が通過していく街。通りを賑わす人々も、用事が済めば帰ってしまう。特に池袋は駅ビルが発展し商業施設が充実し、ますます便利にはなりましたが、駅から出ずに帰ってしまう「いけぶくろ(池袋)」ならぬ「えきぶくろ(駅袋)」という課題もあります。ここに住んで、家族をつくり、子を産み育てる街ではない― 課題ははっきりしていました。
将来にわたり人口を保つため、子育て世代の女性が定住してくれる街づくりをしよう。女性にやさしい街をつくることができれば、子どもや年配者、外国人……すべての人にとっても住みやすい街になるはず。
そう考えて対策部局をつくり、矢継ぎ早にさまざまな施策を実行しました。防犯対策、住宅供給支援、認可保育所の新設、ひとり親家庭の学習支援、公園整備……それこそ思いついたら予算の許す限り次々に。
試行錯誤の繰り返しでしたから、ときに「朝令暮改」とお叱りを受けることもありました。それでも各商店街の関係者など多くの心ある方々のご協力もいただき、区民参加型のプロジェクトを実施。そうした取り組みが奏功し、2018年には40年ぶりに区民人口29万人を突破。消滅可能性の危機は、ひとまず解消するにいたりました。

区民と一緒に見られる
夢が元気の源

― 高野区政では国際アート・カルチャー都市を掲げ、Hareza池袋などの文化拠点を整備され、音楽や演劇、ミュージカルなど誰もが文化・芸術を親しむことができる街づくりにも熱心に取り組まれています。

高野: 去る11月には、池袋東口に宝塚や歌舞伎からアニメまで楽しめる「Hareza池袋」が、池袋西口に野外でクラシックが楽しめる「グローバルリング」がオープンしました。
世界の一流都市は、一流のホールを持っているものです。外の人々をその街に引き寄せ、住民が誇りを抱ける、ランドマークとしてのホールです。おかげさまで、豊島区もハコモノは充実してきました。
この先、肝心なのは、充実したコンテンツの獲得です。若き音楽家を支援すると共に、気軽に住民がコンサートに行く機会を創出するため、毎月、ランチタイムコンサートを開催されているリビエラ東京の様な民間での動きも、豊島区が掲げる「国際アート・カルチャー都市」に寄与し、ありがたい存在です。今の私の夢のひとつは、世界中の一流アーティストがこぞって「豊島区で公演したい」「豊島区民に見てほしい」と言ってくれるようになること。
区民と一緒に見られるこの夢があるからこそ、私はまだまだ元気に頑張れる。そう思っています。
この70年間、良き企業区民であり続けてくださったリビエラ東京も、わが街のランドマークです。リビエラ東京と名前を変えた今日も、白雲閣のころと変わらない品格と味、おもてなしを頑なに保ち続けてくれたことが、池袋のグランドデザインの支えになっています。
これからも共に歩んでほしい。愛する街の一員として。

高野 之夫

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