2018年1月発行

加山 雄三

俳優・歌手・ソングライター・・・・・・etc.として芸能界屈指の実績に輝く、言わずと知れたスーパースター。加山雄三さんは、80歳を過ぎても元気に満ち溢れています。ご自身が設計した愛艇『光進丸』を操る屈指のシーマンでもある加山さん。その愛称を冠したヨットレース『リビエラ逗子マリーナ若大将カップ』を、リビエラと日本セーリング連盟が共同主催しています。

俳優・ミュージシャン

加山 雄三

KAYAMA YUZO

1937年4月11日、神奈川県横浜市生まれ、 茅ヶ崎市出身。幼少時よりスポーツや音楽に興味を持ち、11歳の時に船に魅せられる。23歳の時、東宝と専属契約を結び、 同年「男対男」 で映画デビュー、翌年「夜の太陽」で歌手デビュー。 映画 「若大将シリーズ」が大ヒットし代表作となり、1965年に発売した「君といつまでも」は350万枚の大ヒット。 当時ブロマイドが女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録。 日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在としても長年第一線で活躍。 2010年、芸能生活50周年の際、 茅ヶ崎市市民栄誉賞を受賞。2011年、第61回芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門受賞。 2014年、秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2017年6月、第8回岩谷時子賞を受賞。

誰もが知る愛称を冠した
ヨットレース

2020年の東京オリンピックでは、神奈川県がセーリング競技の会場に決定しました。これを受けて同県では海でのスポーツやレジャーの楽しさを発信する『FeelShonan』プロジェクトの一環として、2016年より、史上最大級のヨットフェスティバル『ENJOY海KA-NAGAWA』を開催。リビエラも実行委員会に名を連ねています。
そして、この一大イベントの名誉委員長を務めるのが、海を愛する男の代表、若大将"加山雄三さん。イベントのフィナーレを飾るヨットレースは、『加山雄三invitationalリビエラ逗子マリーナ若大将カップ』として親しまれています。
2017年10月8日、第3回大会が大成功のうちに終了。レースの熱気まだ冷めやらぬ中、全国コンサートツアー『祝!80歳幸せだなあ。若大将一夜限りの“全箇所"スペシャルライブ」の準備にアグレッシブに取り組む加山さんにお話を伺いました。

相模湾を疾駆する100艇
上位入賞した小学生も

今回の『若大将カップ』は、絶好のコンディションの中での開催。
「レースもコンサートも最高だったね。前回、前々回は悪天候でレースそのものは不成立だっただけに、嬉しさもひとしおでした。
スタート前に観戦艇で沖に出ると、100艇近いヨットが我々の周りに近づいてきて手を振ってあいさつしてくれましたが、みんな元気で、一斉にスタートして江の島方面を目指して走っている姿は、本当に壮観だった。やっぱり海はいいな~!!! 相模湾はいいな~!!」
このレースは元々、『逗子マリーナカップ」として長年続いてきたものですが、『リビエラ逗子マリーナ若大将カップ』になってから一層参加者が増え、名実共に人気のヨットレースとなりました。
「そう言ってもらえるのは光栄ですね。相模湾でのビッグレースとして愛好家にはよく知られたこの大会を、僕が応援させていただくことになったのは、2015年開催から。レース参加者からの強いラブコールに応える形で『若大将カップ』と銘打つことになりました」加山さんの熱意あふれるサポートは、ヨット愛好者の裾野を広げることに貢献しています。
「僕が協力することで、海を愛する人が少しでも増えたら本当に嬉しい。
その意味から『若大将カップ』では、従来の“クルーザーヨットレース”に加え、2016年大会から“ディンギーヨットレース”も始めました。ディンギーは、リオデジャネイロ五輪でセーリング競技種目になったカテゴリーだけど、年齢や競技歴に関わらず、参加しやすい艇種といわれています」
事実、今大会のディンギーレースでは、小学2年生の男の子とお父さんのチームが2位入賞。
「素晴らしいよね!! これからの大会でも、子どもたちをはじめ、より多くの人にチャレンジしてほしいね」

選手・関係者もはじける
スペシャルライブの一体感

『若大将カップ』では、表彰式でのスペシャルライブも大盛り上がり。「毎回そうだけど、レース後のコンサートに参加してくれる選手たちは、最初から熱く盛り上がってくれるので、いつも気持ちよく歌えるんです。
ライブの最後の曲では、クルーザーヨットレース/ディンギーヨットレースの総合優勝艇の皆さんや、スポンサー企業の皆さん、神奈川県の黒岩祐治知事、そしてレース運営の主体となっているリビエラリゾートの小林昭雄社長にもステージに上がってもらって、全員で僕の曲『海その愛」を唄い、盛り上がりました。この熱さがいいんだよ」
『若大将カップ』が末永く続き、参加者がさらに増えることによって、マリンスポーツが活性化されることをリビエラも願っています。

加山 雄三
加山 雄三

東京五輪セーリング競技の
“応援団長”も務める

加山さんは、地元・相模湾 (江の島沖)で行われる2020年東京オリンピック・セーリング競技の“応援団長”もお務めです。
「僕は本当に海が好きで、10代のときからヨットを操ってきて、80歳の今も船に乗っています。
生まれたのは横浜だけど、2歳で茅ケ崎に転居して、荒磯で有名な茅ヶ崎の海を泳いで育った。
小学校のときの家庭教師が商船大学の学生さんでね、この学生さんから船のことを聞かされているうちに、船の虜になって、18歳で初めてモーターボートを自作しました」
それが、かの有名な『光進丸』の始まり。今の光進丸は3代目。
「セーリングは“自然との闘い”なんだ。15歳で波乗りに凝った僕は、それを体で知っています。そんな僕が、セーリングの選手たちを励ますことで、たくさんのメダルを獲得してもらえたら......。そう思って応援団長を引き受けました」
今回の「若大将カップ』の盛り上がりも、オリンピック・セーリング競技への興味関心を大いに高める効果があるはずです。
「一部の愛好家や地元だけが盛り上がっているんじゃダメだよね。大いに話題を作って、多くの人に知ってもらい、みんなで盛り上がることが大事。そのためなら、何だってしますよ。
加山雄三が相模湾で何かすごいヨットレースをやっているらしい、オリンピックのヨットレースも相模湾でやるんだな・・・・・・僕がお手伝いするとで全国の皆さんに知ってもらえるなら、こんなに嬉しいことはありません。
愛するヨットと故郷の海のためなんだからね」
傘寿を過ぎてますます意気軒昂に語ってくれた加山さん。
まさに“永遠の若大将〟です。

「光進丸」で毎年訪れる
リビエラ逗子マリーナ

西伊豆を母港とする愛艇・光進丸でのマリンライフを楽しむ加山さんは、リビエラ逗子マリーナを訪れるのを楽しみにしているそうです。
「西伊豆を出航して、石廊崎経由で相模湾に入ってくると、見慣れた風景が目に入ってきます。まず伊東沖に初島が見えて、続いて茅ヶ崎から江の島あたりが視界に入ってくる。このとき『帰ってきたぞ〜」って実感するんですよ。逗子マリーナへの航海は、僕にとって望郷の旅でもあるわけだね。
江の島を越えて逗子マリーナの航路に入っていくと、桟橋にはスタッフの皆さんが総出で待っていて、 光進丸のもやいを取ってくれる。この温かさが本当に嬉しいんだよな」
異国情緒たっぷりな逗子マリーナの雰囲気もお気に召しているとか。
「東京からこんなに近いのに、ちょっと日本ではないような、南フランスみたいな雰囲気が面白いよね。逗子マリーナに来るといつもゲストを呼ぶんだけど、初めての人はみんなびっくりしますね。素敵なマリーナだって。僕もそう思ってます」
末永く逗子マリーナをお楽しみください、若大将!!


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