2023年7月発行

絹谷 幸二

今回のゲストは、日本を代表する洋画家・絹谷幸二さん。文化功労者、文化勲章受章者、アフレスコ古典画技法研究の世界的権威、そしてご家族とともにリゾートライフを満喫するベスト・ファーザー。ダイナミックな画風で国内のみならず世界の画壇をリードし続ける絹谷さんの作品群をたっぷり紹介しながら、2号連続でお届けします。

インタビュー:渡邊華子

洋画家
東京藝術大学名誉教授
日本藝術院会員

絹谷幸二

Koji Kinutani

きぬたにこうじ:1943年奈良県生まれ。68年東京藝術大学大学院修了。71年イタリア留学( ~73年)。74年安井賞受賞。77年文化庁芸術家在外研修員として渡欧。79年日動画廊にて個展(83年、89年)。87年日本芸術大賞受賞。89年毎日芸術賞受賞。97年長野冬季五輪公式ポスター原画制作。2001年日本藝術院賞受賞、日本藝術院会員となる。07年「絹谷幸二・幸太展」( 日動画廊)。09年「絹谷幸二賞」開設。14年文化功労章顕彰。15年日本放送協会放送文化賞受賞。16年「絹谷幸二 天空美術館」開館( 大阪)。21年文化勲章受章。現在 文化勲章受章、文化功労者、日本藝術院会員、独立美術協会会員、東京藝術大学名誉教授。

文武両道のベスト・ファーザー

― 文化勲章のご受章おめでとうございます。

絹谷: ありがとうございます。コロナ禍2021年の受賞でしたので、お祝い会なども時期が遅くなりました。

― 現役第一線の洋画家として貪欲に創作活動をされる傍ら、後進を育成する指導者として、そしてメディア活動や講演を通じて芸術の魅力をわかりやすく―般社会に伝えるナビゲーターとして……超多忙な日々を送る中、「第16回ベスト・ファーザー賞in関西」も受賞。リビエラリゾートクラブのメンバー様としてご一家でマリンライフも満喫いただき、パワフルでかっこいいお父さんでもある姿に心から感動しています。

絹谷: 山を描くイメージがあるかもしれませんが、私は海が大好きで、マリンライフもキャンプもとても気に入っているんです。私は〝海なし県〟の奈良出身ですが、小さいころから体を動かすことが好きで、中でも泳ぎが得意。釣りも好きで、明石や伊勢、白浜、それから琵琶湖ですね、しょっちゅう出かけていました。絵描きというものはインドア派に見られがちで、どうしてもひ弱なイメージがあるでしょ? でも、それは大間違い。小学一年生で油絵を習い始めたんですが、並行して野球部にも入って、大学を出るまで野球を続けていました。学校行事だと、文化部と運動部で予算の取り合いになる。私は両方で部長を務めていたものだから、困っちゃったりしてね。

― 文武両道、さらに部長まで務められたとはさすが。豊かなご経験をされた学生時代ですね。

絹谷幸二

スキューバで鍛えられた独自の目線

絹谷: 東京藝大に受かって上京すると、スキューバダイビングを始めました。当時はライセンスの制度もなく、教えてくれる学校もなかったから、アメリカから教則本を取り寄せて、自分で翻訳して独習してね。仲間たちと夜明け前に車に乗りこみ真鶴あたりによく行ったものです。とれたての魚や貝は、格別のごちそうでした。全身で海に対峙して、その恵みもいただく。大自然が、文字どおり血肉になりました。

― 絹谷作品の大胆なまでの力強さは、青春時代に得た海のパワーがベースなのですね?

絹谷: そうしたことも含めて現在にまで続く海とのさまざまな関わりが、私の創作活動にインスピレーションを与えてくれたのは事実ですね。スキューバというのは、頭を下にして潜っていくでしょう? つまり逆立ちです。陸での生活とは目線が変わる。私がふつうの絵描きさんと違う目線を持っているとすれば、それは海での体験のおかげでしょう。絵描きというとスポーツとは縁遠いイメージがあるかもしれませんが、皆さんが想像する以上に肉体的にハードで、実はアスリート並みの身体能力が必要だともといえる。私は好んで富士山を描きますが、新幹線に乗ると雄大な富嶽の姿に、誰もが「おおーっ」と感動しますよね? でも、新幹線は猛スピードで通り過ぎてしまう。あっという間に視界から消えてしまう対象を、一幅の絵画に静止できるのだから、われわれ絵描きの動体視力は一流のスポーツ選手にも負けてない。

― 野球の名選手は「ボールが止まって見える」と言いますね。

絹谷: そうそう。絵描きの場合は、動体視力というより静・・・・・止化視力とでも言うべきなんでしょうが。

スキューバダイビング

大自然に感動し表現それゆえ文明が生まれた

絹谷: 実際に山を絵にするときは、絵描きは山を眺めながら描きます。つまり、びくとも動かないものを何時間も何日間も見続ける視力と気力が要る。そして鑑賞者も、できあがった動かない絵をじっと見つめてくれる。
こういう物の見方ができるのは、人間だけです。他の動物の目は動くものだけに反応します。動かないものを飽かず眺めていられるのは人間だけの特質。太古の昔から人間は自然を見つめ、感動し、表現してきました。その行為が脳を発達させ、文明が生まれた。それが絵というものの根源なのだと思います。

早熟な少年を巨匠にした〝本物〟に触れた原体験

― 小学一年生から油彩を始めたというのは、ずいぶん早熟ですね。

絹谷: 私の生家は、奈良・興福寺のすぐそば。明治半ばに曽祖父が創業した「明秀館」という料亭で、かつては政財界の大立者や文化人が集うサロンのような場所でした。曽祖父は商才に長けた人でいくつもの事業で成功し、美術品のコレクターとしても知られた。生家では今も親戚が料理屋を営んでいます。そういう商家の環境に生まれて、幼いころの私は家では一人で過ごすことが多かった。姉がいるのですが、14歳も年が離れていたら遊び相手にはなりません。ただ、家の前には興福寺の五重塔があって、それを絵に描いていると時間も淋しさも忘れることができた。どんどん描き続けていると、幼いなりに上達していって、誰に習ったわけでもないのに遠近法も身につけていきました。
何しろ奈良市の真ん中でしょ?周囲は国宝級の優れたモチーフだらけ。そのうちに、東大寺の構内でデッサンすることも許されるようになった。

― 早いうちから〝本物〟に触れることができた、と。

絹谷: その点については、絵描き仲間から羨ましがられますね。

黄金朝陽富嶽

「黄金朝陽富嶽(めぐる十二支)」2020年

蒼天大地・心に浸みる悲しみ

「蒼天大地・心に浸みる悲しみ」2022年

アンジェラと蒼い空Ⅱ

「アンジェラと蒼い空Ⅱ」1976年 昭和51年度文化庁買い上げ優秀美術作品 東京国立近代美術館蔵

奈良の文物がイタリアで自信をくれた

絹谷: 日本古来の文物が持つ優美なフォルム、一筋縄ではいかない色彩を目の当たりにして育ったことは、私の財産だと思っています。藝大卒業後に留学したイタリアで痛感しました。たいていの人は、現地へ行って本物のルネサンス芸術に触れると気圧されてしまうものですが、私はそうはならずに済んだ。「同じ人間の営み」として向こうの文化を捉えることができた。自分の国の歴史の厚みや、奈良や京都、鎌倉などに遺された芸術文化の深さをよく知っていたからですね。

築300年以上の生家で暮らして

― ご生家も文化財的価値で知られています。

絹谷: 母屋から正徳2(1712)年の棟札が見つかっているから、「銀嶺の女神」1997年 長野冬期五輪ポスター原画イタリア留学時代建てられたのは江戸時代半ばより前のこと。ほとんどその当時のまま、改修もしていません。それでお客さんを迎えるお店として使われているし、私のアトリエもあります。

― 海に親しむことで鍛えた独特の目線と、生まれ育った奈良と家の歴史。その両方が、現代洋画の第一人者として受けた文化勲章のバックグラウンド。そのうえ、ベスト・ファーザーという現代的な価値観も体現されている絹谷さんは、「古き良きモノを大切にし、大自然と共に心豊かに生きる」を理念とするリビエラにとって、まさに同じ道の前方をゆく先達です。次号では、作品に込められた哲学や、後進に託す思いに迫ります。

「銀嶺の女神」1997年 長野冬期五輪ポスター原画

銀嶺の女神

左・中:イタリア留学時代
右:壁画を描いている若い頃

日月桜花爛漫富士

「日月桜花爛漫富士」2022年


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